カテゴリ:本( 2 )

裸婦の中の裸婦

澁澤龍彦 巖谷 國士 、文藝春秋、1990年。
掲載「裸婦」リスト

バルチュス 「スカーフを持つ裸婦」 Balthus "Nu Au Foulard"
ルーカス・クラナッハ 「ウェヌスとアモル」
ブロンツィーノ 「愛と時のアレゴリー」
フェリックス・ヴァロットン 「女と海」 Félix Vallotton "Trois femmes et une petite fille jouant dans l'eau"
参考「月の光」
ベラスケス 「鏡を見る女」
百武兼行 「裸婦」
ワットー 「パリスの審判」
ヘルムート・ニュートン 「裸婦」 "Femmes Secrétes" より;シャーロット・ランプリングの写真
眠るヘルマフロディトス の彫像
ポール・デルヴォー 「民衆の声」 Paul Delvaux "La Voix Publique"
四谷シモン 「少女の人形」 篠山紀信 「人形愛」(美術出版)より
アングル 「トルコ風呂」
[PR]
by doopylily | 2007-09-30 11:29 |

「エヴァの日記」の「読書感想文」

「エヴァの日記」、エヴァ・フォレスト著、小中陽太郎訳、岩波書店、1990、東京。オリジナルは1978.6月、時事通信社より刊行。

あまり馴染みはないかもしれないが、スペインはつい30数年前までファシズムの色濃い国家であった。スペイン内戦を経て独裁を行ったフランコ政権末期のこと、太陽の門広場のカフェにおける爆発事件の容疑者として精神科医であるエヴァ・フォレストはスペイン公安警察に連行された。本書は三年にわたる拘禁の間、エヴァが三人の子供へ送った手紙を主として収録している。時代的背景や訳者の思想的傾向が反映されていると思われるが、「左翼的」言辞、語彙が満載であり(ひらがなの「たたかい」、連帯、革命、同志ないし戦友…等々)、その点に関しては迷惑なぐらいに煩わしい。また、訳注と称して訳者の「私」がでしゃばっているのも目に余る。現代日本のネット、特に2ch系の人々にとっては単に「サヨ」で切り捨てられてしまいそうな雰囲気すらある。しかし、これらの日本ローカルな事情による短所を補って余りある筆者の愛情、智恵、熱意が全編に満ち溢れている。それは読み手の政治的・思想的信条を超えて、広く「ヒト」としての共感を呼ぶものだ。拘禁さえ自由を奪われつつも、寸暇を惜しんで子供への手紙を書き続ける母親。検閲や劣悪な郵便事情に悩みながらも常に愛情を感謝を示す人柄。何より、筆者自身の楽天的で明るいキャラクターが救いだ。あとがきで訳者が述べていることであるが、実際に筆者に逢ってみて、その陽気さに近づけるため訳文の変更に至ったとのことである。その甲斐あってか、陰惨な現実にもめげない知的で陽気なおっかさんが、時に過干渉気味に時にほとばしる熱情的な愛情を持って子供たちに話しかけているかのような文になっている。
「マロマおっさん一家」のハッピーエンドを願わずにはおれないぐらいの魅力である。

以下、素描的に本書から抜粋する。
・p16「想像力とはやがて可能になるもののことだ」
・p29 杉浦明平「とくにダンテは政治的動物だった。フィレンツェの党争に敗れて、国外追放になったのである。戦後しばらく政治活動に従っていつも負けていたわたしには、ダンテの政敵に対する憎しみの激しさがわがことのように共感された。とりわけ、リンボに落とされた敵でも味方でもない中途半端な連中に対する軽蔑感は、政治の中で闘い傷ついた人間以外には持ちえぬ強烈さを持っていた」(世界文学全集、ダンテ・ボッカチオ編より、学研). 
全体悲劇 Tragedia compleja "Multi-level tragedy". アルフォンソ、「崇高な悲劇の中に滑稽な喜劇がまじり合うことが真の現実だ」
[PR]
by doopylily | 2007-09-27 00:19 |